西洋哲学と文学、芸術

西洋哲学を基本に、殊にHermeneutikという文章や芸術をより分かろうとすることについて、

Sprache langue 言葉 言詞 ことば

ガダマー 哲学のはじまり Reclam より                  言葉は- あのニーチェによる言い方をすると-  神の発明 である。

言葉と書いたが 原文はSprache である。グリム辞典(グリム兄弟は日本ではメルヘンで有名だが、本来の彼らの業績はこのドイツ語辞典である。彼らはルターからゲーテまでの時代のドイツ言語を蒐集して、一語ずつの成立起源、変遷、使用例などを丁寧に分析し辞典として作成していった。彼らの死後はベルリンにあった科学アカデミーがそれを受け継いだ) によると  

Sprache には二つの意味がある。一つには人間の持っている財産で、思考をよく聞こえる声にして認識出来る様にする。その様な財産は人間に与えられた思考できる能力においてのみあり、それをもって心中でわかったと受け止めたり、又は外に向けて口から発する。聞こえる声が自分でわかるという事であり、それを通して他の人に自分の思考を伝える。Jablonski から。   

Spracheは 自身の思考を言葉に置き換え、音声で強調する。言葉の資源を思考の表現に利用するもの。Adellung より

昔、Soracheは神の贈り物であると記されていた。神の贈り物としては、思考できる能力、Sprache、目、耳、そして、わかる力。Luther より

グリム辞典ではもっともっと長い引用や説明があるが、とりあえずここまでに。

Spracheは 日本語にすると言語、言葉 言詞 であろうか。言語はいわゆる各国の言語という様な多様な言葉を統括している様だが、これはひょっとして明治時代前後の造語ではなかろうかと 思う様になっている。          ドイツ語で他国語はFremdsprache フランス語でも langue étrangère で、同じ様な表記、余所者の言葉 という感じだ。日本でも外国語というのだから 言語何て変な言葉を使わずに、外国語でいいのではないかと思ったりするのは 私だけであろうか。

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祈るとは

先日のローマ教皇ツイッターに、祈りが意味する事は、という書き出しで始まった文章があった。それは、祈りのとき、本当の自分で無い自分であろうとしない事、言い訳をしない事、自分は正しいのだと自分で決めて、神にその様に見せようとし事。           

神はあなたが自分をよく見せようとしたら愛さない。神は本当のあなたを愛しているから。神の愛に条件など全く無い。あなた自身がどうこうとか気にもしていない、とも。

キリスト教、厳密に言えばここではローマカトリックでは真実の自分 ほんまのほんまの自分を晒さなければ、神はあなたと話をしてくれないということになる。真実という日本語がほんまのほんまと私が考えている概念に当てはまるのかどうか、少し不安ではあるが、ドイツ語ではWahrheit フランス語はvérité と言い、また神だけでなく西洋哲学でもこれを追求する。とても大切な概念である。この概念においては西洋哲学では激しい論議が飛び交ったり、キリスト教では特別の概念があったりと、日本語の真実で表現できないと個人的には考えているけれど。とにかく、フランシスコ教皇が仰りたかったのは、ほんまのほんまの自分を神にさらけ出さなければならない、という事である。

ローマカトリック信者になって、かれこれ20年近くになるが、日本人の私は今でも 祈りについて疑問がいっぱいある。仏教や神道で祈るのとは違って、神との対話というか、神の言葉を待つ自分がいるというか。しかしそれが正しい祈り方なのかどうか。以前私の教会の神父と一緒にビールを飲んでいる時、聞いた事があったけど、神父はキミが信じている様に神に祈ればいいんだ、と言ってくれたけれど。

私は殊にマリアに祈るのが一番祈りやすい。マリアは人間だったし、女性で母で、自分に近しいものを感じるから、母の様に思えることもあるからかもしれない。私はイエズス会で祈りについて教わった。マリアやイエスに祈ったら、彼らが神に祈りを届けてくれると。イエスは神の子であり、神と一体だから当たり前だが、マリア信仰はカトリック教だけに広まっている祈りである。

禅仏教では無になって祈るべき、と言うけど、キリスト教では自分が無になったら、神に祈れなくなってしまう。また無になるって、神はありのままの私を愛してくれてるのに、無になったら、命をくれた神に失礼この上もないではないか、それに対話もできないではないか、と思ってしまう。対話する事は言葉が必要である。言葉が無くては何も始まらない。

ヨハネ福音書は こう始まる                      

始まりは言葉だった そして 言葉は神にあり、言葉は神であった。(私訳)

西洋ではとにかく言葉が大切である。

 

芸術論について

日本の美術関係について読む事は余りないが、昨年余りにもひどい美術評論をネットで読み、その出版社に間違いを指摘した事がある。全く何の音沙汰もなく今日に至っている。批判ではなく訂正であり、正しいと考えているので、ここに発表し、この原評論を読んだ方に、少しでも真実をお伝えできたらと考えた。日本だからどんな美術評論を書いてもいいとは言えない。芸術には描かれた時代の背景や画家の意見や、宗教的解釈や色々な真実が織り成されているから、真実を曲げてはいけない。

日本のインターネットのサイトはもう存在しません。
中野京子氏の作品につきまして ベルリンにて 2019年2月27日 文藝春秋社御中
今日偶然、以下の二つの記事を拝見して、
自分が考え抜いて正しいと考えたことは伝えるべきであり、伝えられた人は聞くべきだ
という哲学者カントの言った言葉を思い出しまして、お伺いを差し上げます。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190225-00010792-bunshun-ent&p=1
このナポレオンの記事ですが、英、仏の王に手をかざしてもらうと、それで病人は救済されると思っていた、とこの絵の説明に書かれています。
https://www.louvre.fr/oeuvre-notices/bonaparte-visitant-les-pestiferes-de-jaffa-le-11-mars-1799
これは、ルーブル美術館のこの絵の解釈です。
ここにははっきりと、シリアで、 あたかもキリストの如く、ボナパルトがベスト患者に手で触れよう、かざそうとしている、
en Syrie. Comme le Christ, Bonaparte impose sa main sur un pestiféré.
とあります。この1799年に書かれた絵が、1791年〜1801年までのエジプト遠征のあと描かれた 中野氏が取り上げられた絵は、1804年の絵ですが、主題は全く同じです。
このルーブルにある古い方の絵は ボナパルトのちのナポレオンが直にグロに依頼したと言われています。その時初めて総督に就任した彼が、イギリスが彼が悪行を働いたと報道していたのでそれを 洗い流そうという目的でした。
キリストの存在が日本はキリスト教国で無いので、何処か真意に欠けるところがありますが、この説明の文章も残念なことにそこがうまく表現できてないようです。
誰かを キリストに置き換えることは、神にも置き換える事に繋がり、それは大変な過ちであり、禁じられた奢りの最高峰と言えるわけです。又 聖書にはイエスが手をかざして病気が治った話が所々出てきます。
そういう事を前提にグロはボナパルトを神聖化しようとした訳です。私はグロの研究をしていませんので、何故彼がそういう風に描いたのか 断言できません。ですが、もちろん依頼されての事ですので、言うなれば依頼に答えてイギリスを納得させなければなりません。その点でボナパルトを神と同等の地位に置き(罪な行動であっても)、崇高さを与えたという風には考えられます。ですので、尚更この絵のボナパルトは王ではなく、イエスを連想させないとなりません。という事は 中野氏の仰っていられる王 に例える というのは、間違えています。そういう風習があったかどうか以前に、この絵の解釈を誤解なさっていられます。
これ以降グロは一時、ナポレオンを世に高く評価さす為の画家になります。でも
本来はこの絵自体の方が、ネオクラシックの貴重な例としてあげられると解釈される事に 注目するべきです。ネオクラシックとは、芸術において、古代ギリシャやローマ時代の、真のスタイルに戻ろうという動きだった訳ですが、この絵もその潮流にあります。ジェファは アラビアになるので、絵の中にはそれらしき建物も勿論描かれていますが、この構図自体は、1784年に描かれた ジャック ルイ ダヴィットのホラティウス兄弟の誓いを取り入れています。ダヴィットは、ネオクラシックの先駆者でした。芸術のエポックの流れは、このようにして受け継いで行かれ、それは贋作とかでなく、方法やテーマなど時代の流れによって試行錯誤されながら、続いていきそこから新しいエポックが又生まれてきます。グロのこの絵は、この後のロマン派 に続くための礎になったと言われています。

次に ロココ時代のモンスターとカール フィリップ エマニュエル バッハ についてです。
http://bunshun.jp/articles/-/8749
メンツェルのこの絵はベルリン在住者なら多分一度は見ていますし、
フリードリッヒ二世 Friedrich der Große フリードリッヒ デア グローセ については、ドイツ人ならば誰でも、知っている有名な王様です。この絵が描かれたのは、1850〜1852年で、このとても素晴らしかったと後々まで讃えられているフルートコンサートがサンスーシー宮殿の音楽サロンで演奏されたのは1750年です。つまりメンツェルはその有名なコンサートを100年後に想像して表現したのです。このコンサートが何故開催されたか、誰が出席していたかは 記録に残っています。メンツェルはこの時38歳だったフリードリッヒ二世に 19世紀のプロイセンの簡素なユニフォームを着せました。ロココのコスチュームではありません。しかしその他の点、当時の決まりで王が座らなければ男性は座ってはいけなかったので、男性は全て立ったまま、女性のドレス、会場の様子などの点は史実に基づいて描いています。また、サンスーシー宮殿はロココ時代に建てられましたが、プロイセンの権力を見せつける為もあり、この王が彼の趣味で些細な部分まで家具調度品に至るまで自身で吟味したので、ロココ形式であっても完全なロココ形式ではないという特徴があります。
また、中野氏は内容を面白くする為なのか、王の演奏を宮廷人が絶賛していた事は、信用ならないと言い切っていられますが、疑問を感じます。事実として文献にも残っているので、個人の意見としてでも容認され難いからです。王のフルート教師のクヴァンツの複雑な表情とありますが、この表情はメンツェルが描いたもので、この表情だったかどうか全く説明できません。バッハの表情も同じことです。ですので、真実を伝える努力を中野氏は全くしていません。実際メンツェルは、一生の半分はこの絵を描いたことを悔やんでいた、とこぼしていますが、音楽家たちの表情についても悔やんでいたのかもしれません。具体的に知りたいので、調べてみたくなっています。
それから 王がフランス語を話していたのは、中野氏が仰るドイツ語云々ではありません。その時代のヨーロッパの王族は皆 フランス語でした。彼の直筆書簡なども拝見した事がありますが全てフランス語です。王族、貴族はフランス語が当たり前で、ドイツ語(当時はまだドイツ語という言語が確立されていませんでした。ドイツ語を確立させたのは後のグリム兄弟と当時の学者たちです)を話すなどと、考えることも、言うこともありませんでした。少なくとも私はそう言う文献を読んだ事がありません。フランスの流儀が王族、貴族たちのマナーだったのです。おフランスという言葉がありますが、日本人だけの感覚から生まれた言葉で、プロイセン時代、いやその後もそれに当てはまる言葉はないですし、日本的な羨望と憧れをフランスに持っているという事は無いので、この使い方で読者を惑わせると感じました。あたかもプロイセン人が日本人と同じ様にフランスに対して思っているような。。
しかしここで申したいのは、この絵の中で、チェンバロの前に座っているカール エマニュエル バッハが 王から逃れる為に ハンブルグに行った とわざわざ 書かれている事です。
https://www.cpebach.de/ueber-bach/biographie/potsdam-und-berlin
これは そのバッハのページです。彼はハンブルクに最終的に行きました。しかし中野氏の書かれているような、王から逃れるためでは決してありません。王との関係は後から来た若い同僚との問題もありましたが、王が彼の報酬を200ターラー増やすことにより、解決し留まっています。王に対して不満を持っていた、ましてやそれから逃げたというのは、どの文献に書かれているのでしょう。そうではなく、自分の才能をもっと認めてもらいたい、もっと沢山の仕事をしたい為に、ベルリンから出る事を考えていたのですが思うような受け入れ先が見つからなかったのです。またバッハの仕事は王の伴奏だけでは決してありませんでしたけれど。結局1738年から1768年まで30年間プロイセンで勤めました。
1767年、ハンブルグカントーア、教会の音楽担当者だった ゲオルグ フィリップ テールマンが亡くなり、その後継者に申し出て 思っていた雇用先をやっと見つけたのです。しかし王は彼を離したくなかったので、最終的に認めたものの、冬の引越しは大変だからと引き止め、結局1768年の復活祭の日曜日にバッハはハンブルクに引越しできたのです。そのくらい、王との関係は良好で、王から逃げたいからプロイセンから離れるという考えは無かったと考えられます。
あの有名なバッハの息子 というのも、今ではそうですが、父のバッハは彼の死後、フェリックス メンデルスゾーンの母親が、息子のピアノの練習の為にとバッハの楽譜を与え、息子が弾くようになって、つまりメンデルスゾーンがバッハを大変愛し、よく演奏するようになり、徐々にバッハの才能が再認識され出し、今のバッハになったという流れがあり、それまでは特にこの絵の書かれた時点では全く忘れられていた存在なので、ここでの表現には相応しくないのでは、と考えます。まして父と子が同じ時代に活動していたのですが、当時は子の方が有名だったようです。
C.E.バッハの作品も彼の死後忘れられていたのですが、20世紀になり誕生から200年ほど経って、彼の作品は バロック とクラシックの中間 にある、どちらにも所属しない一つのエポックであるという事が認められたという経緯もあります。センチメンタリズム音楽 と日本語では訳す様になりますが、センチメンタリズムは文学に限っていて、ドイツ語フランス語ではEmpfindlichkeit と言い、繊細な感情を表現した音楽、という感じで言われています。
最後にもう一度、王のフルート演奏が下手だったので、彼が伴奏を苦にしていたとは 今まで個人的に聞いたことも無いですし、このサイトにも全く書かれていません。絵の解説でも読んだ事が無いです。それどころか、先にも述べましたが大変上手なフルート奏者だったのです。Sabine Henze-Döhring: Friedrich der Große. Musiker und Monarch. München 2012, S. 23 ff.参照
彼はプロイセンがひどい飢饉になった時に、当時スペインに入ってきていたジャガイモを、悪魔の食べ物と呼ばれていたのですが、国内に植えさせ、飢饉を凌ぎ、ドイツをジャガイモ大国にした王でもあります。その少し後に生まれたゲーテは、ジャガイモなど食べるものではないと言っていますけど。

一番気にかかる部分ですが、絵画、美術の文章を書く人は、こちらでは一般的に、Kunsthistorikerといい 、芸術史、哲学、語学などを勉強します。大学に学科があります。ドイツ語圏で最も威厳のある、この学問の基礎を築いた学者の一人としては ハインリッヒ ヴェルフリンなどが居ます。彼はまた 美術批評についても学問として確立しています。
申し訳無いのですが、中野京子氏には、Kunsthistorikerとしての知識があまり無いと思われます。文章がお上手なので面白い読み物にすればいいとお考えでも、真実が伝わっていなければ 読者は騙されたまま、間違った知識を身につけてしまいます。中野氏のお考えで面白くなさるのはいい事ですが、史実を面白くする為に変えたり、史実を認識せず面白くしたり、というのは、全くのノンフィクションとして書かれていないので、疑問を感じてしまうのです。ここでいう面白くするというのは、日本人にとって興味深くするという意味も含みます。
批判するのは日本的でないので、控えたいと思いましたが、
あまりにも事実と違うことを、たまたま初めて拝見した二つのお話で見つけましたので、驚きのあまり書いています。中野氏がどのような文献をご参照なさったのか、普通なら公開するのが一般的ですが。以上につきまして、中野氏のお考えに至る様になられた 文献も提示して、お答え頂けます様に ご検討頂けましたら、私としても参考になります。

怖い絵 というタイトルも拝見しました。怖いグリム童話というのも一時日本でありました。ここではっきり申し上げます。こういう意味で使用される日本語の怖い、という日本の感情が西洋の芸術には存在していません。そこには 儒教やそれを基礎にした仏教文化が土台となる日本文化と、ギリシャ文化、それを継続したキリスト教文化という流れの西洋文化の相違があるからです。美徳も宗教も違いますので、こちらで創作された作品を日本の感覚で解釈する事は、面白いかもしれませんが、全く意味もないし、不可能な事です。全く異質なものを比較できません。そして日本と欧州の違いは、自己の無にもあります。
日本の仏教で無になるという時は、自身も否定してありません。しかし キリスト教で無になるという時、自己は、神から授かった自身の存在は否定しません。ここでも大変大きな違いができます。芸術を紐解く時に、こういう点にも注意が必要です。
Hermeneutik の方法を使い、芸術、文学の解釈を理論的に哲学的に紐解く為には。作者の生い立ちから宗教、その人を囲む全ての背景を、その人自身か、それ以上によく理解しなければなりません。また出来る様に作者についても大変調査します。これで全てが分かるとは言い切れませんが、少なくとも、作者が何を言いたかったのか、その真実を知る為に一歩近づけるようにはなるでしょう。そして芸術を読み解く為に必要な手段でもあります。これ無くして、西洋の芸術を理解する事は困難です。
例えば、教会の中には必ず、福音者やイエスの彫像があります。作った人は職人さんですが、この像の出来栄えが素晴らしく崇高な芸術に値するとなったら、その職人さんは芸術家になります。でも、何処で、何をもって、普通のイエス像が 芸術的なイエス像になるのでしょうか。そして誰がその判断を下すことができるのでしょうか。
教会の彫像を作ってヨーロッパ中を駆け巡っていたとあるマイスターグループの歴史があります。時間的に150年以上の違いがありますので、マイスターは変わっています。そしてその彫像の表現もだんだん変化します。このグループを見つけ出したのはハーマン教授というドイツ人のKunsthistorikerで、上記に述べましたヴェルフリンが彼の教授号の担当教授でした。彼の論文が発表されて50年以上になりますが、この研究はまだ終わっていません。西洋の芸術には流れがあります。19世紀以降の芸術を紐解く学問にも流れがあり、皆真実を見つける為に、流れを遡ったり下ったりしながら、研究に励みます。
個人的にこの様な現実を見続けている私には、中野氏の文章はある意味、これらの人々にも、また芸術家たちにも、余りにも軽々すぎて、ある意味侮辱では無いかとも見受けられましたので、お便りを差し上げます。日本だからどういう見解をしてもいい とお考えなら仕方がないですけど。それならただの嘘満載の娯楽読み物として出版なさり、文中への 何処からかの引用なども全て作者が考えた事 として明記するべきだと思います。つまり、全てが中野氏の創作という事にして、読者が事実と間違えて信じないようにするべきです。中野氏の書かれるお話は面白いですが、西洋の芸術を伝えるには深さがなく、解説される絵画の真実を伝えるには不十分ではないかと見受けました。芸術の真実は面白いだけでは伝えられません。何らかのお答えを頂きければ、とても嬉しく思います。

Aufklärung カント

Aufklärung(アウフクレールング)とは 自分が犯してしまった個人能力財産- 内的にも外的にも自分自身で決定する事ができ、又自身でそれに対して責任をしっかり持てる事-  のない状態からの出口である。これは自身の財産のない事であり、他者からの指導無しで、自身で掴み取る様に分かった事を基に行動する事ができるという能力のない事態を意味する。
自分で犯した罪というのは、(もし自身で掴み取るまで分かることができない事に起因しているのでなければ)、この能力のない事態から自分で、誰からの指導もなく他の人に仕えようという自身の決断と勇気に問題がある。Sapere aude! (ラテン語 勇気を持て、賢くあれ)
勇気を持ちなさい、自分のために自分自身が掴み取るように分かった事に仕えなさい!
ドイツ語
Aufklärung ist der Ausgang des Menschen aus seiner selbst verschuldeten Unmündigkeit. Unmündigkeit ist das Unvermögen, sich seines Verstandes ohne Leitung eines anderen zu bedienen. Selbstverschuldet ist diese Unmündigkeit, wenn die Ursache derselben nicht am Mangel des Verstandes, sondern der Entschließung und des Mutes liegt, sich seiner ohne Leitung eines anderen zu bedienen. ‚Sapere aude! Habe Mut, dich deines eigenen Verstandes zu bedienen!

これがドイツ、そして欧州で言われているAufklärung- les lumières です。啓蒙思想と言われていますが、上から教えてもらうのではありません‼️      自分で考えるのです。そして理解するというのは、教えられた事を了解するのでは無いです。自分の言葉で掴み取る様にわかる事です。考え抜いてこうだという結論まで漕ぎ着けるのです。教えられた事と違っていてもいいのです。そしてその自身の考えに自身を持ち行動しなさいという事です。こうして自分自身でよく考えた上で正しいと思うことは勇気を持って伝えるべきです。カントは人間はその個人能力財産(Mündigkeit)を持っていると言っています。そして、誰かが考え抜いて正しいと思った事をあなたに言ったら、真剣に聞くべきだと。そして真摯に対応するべきだとも。

日本的儒教思想や神仏の宗教の中では、自分を表面に出すことは恥ずべきこと、美徳ではないという考えが根付いています。キリスト教の欧州でも 自身の考えを発表できるのは 王様や教皇、貴族などに限られていました。しかし18世紀の終わりにカントがこう言ったので 大騒ぎになったのです。

又 カントはこうも言っています。                     私達は灯りの元では 暗闇をまず考えない、幸福なときには悲惨な事、満足している時に苦しい事を思わない、しかしそれが反転した時には、いつも考えてしまう。目的の無い人々はその運命に嘆いている、目的を持っている者は自分の運命を創る。

西洋哲学と私

高校生の時 哲学を勉強したくて、少し本を読みました。でも本が何を言いたいのか全く分からなくて、諦めました。

それから何年もしてドイツに来る事になり、色んな事が重なって、哲学と文学を学ぶ事になりました。宗教学では、プロテスタント派の講義でしたが、私の間抜けな質問に担当の講師がとても困っていました。神の存在が絶対だったなんて、思いもよらなかったですから。

その後10年は研究所の研究員をしたり、オーバーゼミナールで博士論文の研究したりとにかくドイツ語漬けの毎日でした。博士論文提出はできてませんけど。

そしてそれから又時が経ち、昔は考えられなかったネットの普及でこちらに居ても日本の論文や書籍が簡単に拝見できる時代になったのですが。読んでいるうちに、日本での西洋哲学というか西洋人文学一般において、何だか私が掴み取る様に分かった事実と違うぞ!という気持ちが高まって来たのです。

コロナで家に居る時間が長くなった事もあり、自分が掴み取る様に分かった事を呟いてみたり、間違っていると確信する事には、批判ではなく訂正を書いてみたいと思う様になりました。

少しずつでもドイツでの真実を書いていきたいです。