西洋哲学と文学、芸術

西洋哲学を基本に、殊にHermeneutikという文章や芸術をより分かろうとすることについて、

多和田葉子氏 と レーヴィット

NHKの記事から 多和田葉子氏の以下のお言葉を拝借した。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/interview/detail/opinion_06.html

『日本とドイツのいちばんの違いは何でしょうか
多和田さん
いちばん違うところは、やっぱり文化の果たす役割みたいなものですね。(ドイツでは)人が物事を考えるうえで大きな役割を果たしているというか、大変な問題が起こった時でもアイロニーをもってそれを語るというか。
一方、日本は、自粛だけで決まりがなくてもみんながみんなのためにすぐやってしまうのはすごいなと思いますけど、その真面目さを離れて、もっと批判する人とか、笑う人とか、アイロニーをぶつける人とか、別の未来を思い描く人とか、いわゆるアーティストタイプみたいな意見が政治に生かされていない気がします。』

申し訳ないけれど、本当に多和田氏の発言なら、少し軽率ではないかと考える。

昨日、偶然、私はまだ熟考していなかったが、ニーチェの作品を少しこのページに発表した。何故なら、たまたまネット書籍で複数の同じ箇所の立ち読みができて、その翻訳に違和感を感じたから、私の知っている(カール レーヴィットの影響がとても強いのだが)   ニーチェは、こうは言ってないよ、と思う処がいくつもあったから、翻訳してみた。ニーチェアイロニーは特殊だと解釈している部分があるので。翻訳なので、翻訳者の主観から 作品内容が変わっても当たり前。大学時代翻訳の講義も受講したが、その時、独ー英の翻訳で20%内容が変わる、真実が減らされる、という事を知った。日ー独なら、40〜50%内容が変わる可能性もある、と教授と話した事を思い出した。

それで今日偶然、この多和田氏のアイロニーについて、日本にもと仰るのを拝見し、これは?と考えた。日本には日本の思考回路があり、それは確かに西洋とは違う(レーヴィット参照) 。それなのに、今何故、それも欧州と日本の違いをきっとよく理解なさっていられる方が日本の政治に西洋的姿勢や考えも取り入れたら、と仰るのが理解できないからだ。日本の政治は日本国民の為にあるものだから、日本人の歴史の流れから汲み取って、構築していくべき。ましてアイロニーが本当に日本で通用していたとしても、アイロニーをぶつけるのが政治に反映されるとは決して考えられない。逆に多和田氏の描かれている政治が私には解らない。ドイツの政治で氏がどこにアイロニーを見たのか、伺いたいと思う。また、そのアイロニーを政治に反映しようとした政治家の名前をご存知なら、是非教えて頂きたい。真剣な大きな問題を話し合う時、アイロニーを言ったりは一般的にしないと考えるし、実際今までの経験でもそういう場面に遭遇したことはないので。多和田氏のアイロニーの概念も是非教えて頂きたい。その上氏の仰る、その真面目さを離れてと日本の美徳を軽視した発言は、軽率ではないかと考える。こちらでは、その真面目さが、日本の感染率を抑えているから、見習った方がいい、と言う声もあるくらいで、それは観点は違うかも知れないが、何れにせよ、日本人の美徳であり、道徳の中に根付いている真面目さをあっさり否定なさった事に驚いている。

つまり、多和田氏の仰ることは、レーヴィットが注意した、西洋化はやめるべきという範疇にすっぽり当てはまっていて、面白いと感じたので、ここに記す。