西洋哲学と文学、芸術

西洋哲学を基本に、殊にHermeneutikという文章や芸術をより分かろうとすることについて、

Aufklärung カント

Aufklärung(アウフクレールング)とは 自分が犯してしまった個人能力財産- 内的にも外的にも自分自身で決定する事ができ、又自身でそれに対して責任をしっかり持てる事-  のない状態からの出口である。これは自身の財産のない事であり、他者からの指導無しで、自身で掴み取る様に分かった事を基に行動する事ができるという能力のない事態を意味する。
自分で犯した罪というのは、(もし自身で掴み取るまで分かることができない事に起因しているのでなければ)、この能力のない事態から自分で、誰からの指導もなく他の人に仕えようという自身の決断と勇気に問題がある。Sapere aude! (ラテン語 勇気を持て、賢くあれ)
勇気を持ちなさい、自分のために自分自身が掴み取るように分かった事に仕えなさい!
ドイツ語
Aufklärung ist der Ausgang des Menschen aus seiner selbst verschuldeten Unmündigkeit. Unmündigkeit ist das Unvermögen, sich seines Verstandes ohne Leitung eines anderen zu bedienen. Selbstverschuldet ist diese Unmündigkeit, wenn die Ursache derselben nicht am Mangel des Verstandes, sondern der Entschließung und des Mutes liegt, sich seiner ohne Leitung eines anderen zu bedienen. ‚Sapere aude! Habe Mut, dich deines eigenen Verstandes zu bedienen!

これがドイツ、そして欧州で言われているAufklärung- les lumières です。啓蒙思想と言われていますが、上から教えてもらうのではありません‼️      自分で考えるのです。そして理解するというのは、教えられた事を了解するのでは無いです。自分の言葉で掴み取る様にわかる事です。考え抜いてこうだという結論まで漕ぎ着けるのです。教えられた事と違っていてもいいのです。そしてその自身の考えに自身を持ち行動しなさいという事です。こうして自分自身でよく考えた上で正しいと思うことは勇気を持って伝えるべきです。カントは人間はその個人能力財産(Mündigkeit)を持っていると言っています。そして、誰かが考え抜いて正しいと思った事をあなたに言ったら、真剣に聞くべきだと。そして真摯に対応するべきだとも。

日本的儒教思想や神仏の宗教の中では、自分を表面に出すことは恥ずべきこと、美徳ではないという考えが根付いています。キリスト教の欧州でも 自身の考えを発表できるのは 王様や教皇、貴族などに限られていました。しかし18世紀の終わりにカントがこう言ったので 大騒ぎになったのです。

又 カントはこうも言っています。                     私達は灯りの元では 暗闇をまず考えない、幸福なときには悲惨な事、満足している時に苦しい事を思わない、しかしそれが反転した時には、いつも考えてしまう。目的の無い人々はその運命に嘆いている、目的を持っている者は自分の運命を創る。