西洋哲学と文学、芸術

西洋哲学を基本に、殊にHermeneutikという文章や芸術をより分かろうとすることについて、

レーヴィット 日本人への忠告

ドイツ人哲学者 カール レーヴィットが アメリカで発表した       《Der japanische  Geist》のGeist 日本では一般的に 精神とか真髄とか訳されているようだが、本来のドイツ語の意味には二通りある。

1 人間の思考している自覚、分かる力、カントから- 内容を構築でき、それを判断したり、言葉で述べたりできる力(財産)                   2 鋭い感覚、精神

個人的に、レーヴィットは両方の意味から、日本を観察していると思う。日本の教授たちは、レーヴィットが戦前に見た日本のGeistを 彼が亡くなるまで書き直さず、丸で日本人は戦前のままだと思っている様だとして、良い感情を抱いていない様だ。

日本について真摯に発言できる西洋人は少ないと考える。殊に申し訳ないが、日本が好きで日本語学科で勉強したという人達に多いのが、如何に自分が日本を日本人の様に分かっているか、と言う事を見せたいが為に、自身を騙しているのでは無いか、若しくは本当には何にも分かっていないのでは無いか、と驚く事だ。日本に好かれたい一心なのかも知れないけれど。初めから日本を 曇りガラス越しにしか見ていない人が多いと思う。

本当に西洋哲学的に日本を理解している人が居ても、日本では批判が好まれない事も分かるので、発言しないのかも知れない。若しくは、その見識を自分の利益の為に利用したいので言わないのかも。何とか美術工芸の社長なんか、その典型で、どうやったら西洋人であると言う特権をも利用して、日本で利益を得る事ができるかを熟知しているとしか思えない。それを読めない役人もどうかと思うけれど。

西洋に追いつけ、追い越せの結果で、どこか西洋に負けているかもという負い目が、今でも残っているのでは無いだろうか。レーヴィットが考えていたのは、西洋の文化は其れ迄の西洋の歴史の積み重ねで出来ているから、また悪い部分も併合しているのだから、日本が上辺だけ取り入れようとするのは無理があるし、その弊害もあるということ。日本は日本らしく真似せずに発展するべきと言いたかっただけだ。

私は日本人が負けているとは決して考えないし、レーヴィットも絶対に考えていなかった。しかし日本で住んでいて、西洋人から、屁理屈も交えて捲し立てたれたら、英語でも何語でも、ましてや下手な日本語でも、普通の日本人なら、一歩下がってしまう。それが私たちの美徳だから。しかし日本人がそうする事を知っている西洋人だったら?そこにつけ込もうとしたら?