西洋哲学と文学、芸術

西洋哲学を基本に、殊にHermeneutikという文章や芸術をより分かろうとすることについて、

聖書の愛と隣人愛

偶然この本をAmazonで見ました。                    哲学・思想翻訳語事典 (日本語) 単行本 – 2013/5/1
柴田 隆行 (監修), 石塚 正英

少し立ち読みができたので 読んで見た。愛について ルターの聖書でもLiebeという言葉しかない。本来はもっと違う言葉で違う意味のある 愛 に関する言葉があるはずなのに、と書いてあった。そんな事は言われなくても百も承知で ルターはLiebeを使った。本当の神の愛を示すAgapae 、人間同士の愛を示すPhileo その違いは読んでいる信者にはわかるし、聖書を読む会などでも話し合う。ルターが聖書を何故ドイツ語に翻訳したか、その意味を全く考えずにこういう事を書くのはおかしいと思う(ルターが何を考えていたか等、当時の歴史、文化、法律など国家体制の背景、もちろんルター自身についても、調査研究し、作品-ここでは翻訳聖書-を紐解くのが Hermeneutik 解釈学) 。              それまで教会の会話はラテン語で、聖書もラテン語ギリシャ語だけが普及していたので、一般の信者、学校に行ける人は僅であったし、には全く分からなかった。皆がわかる様な聖書でなければ、というルターの気持ち、Liebeという一語に揃える方がもちろん分かりやすい。それに文脈からこのLiebeはどのLiebeか分かることが多い。

キリスト教についてご存じないのがもっと分かったのは、隣人愛について。大体このドイツ語は die Nächstenliebe で 隣人愛ではない。助けが必要な人(それは(Mitmenschen、あなたと一緒に生きている全ての人々)を助ける というような意味である。日本では 

〜聖書の言葉〜                            「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、
そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うすることです。
日本聖書協会『新共同訳 新約聖書』 ローマの信徒への手紙 13章9−10節

ここでも隣人愛になっているが、私がドイツのイエズス会で教わったのは   「自分にするのと同じ様な心(愛)で、手を差し伸べる愛」という感じだった。本来、自身が神への愛を確信して愛していたら、自身は幸せであり、他の人が困っていたら、その人にキリストの教えにある慈しみの気持ちを当然持ち、そして助けてあげたくなる。これがDie Nächstenliebe で、私は隣人愛というより、他の人への思いやり 慈しみの愛、と言う方が近い。愛という言葉はどうも日本に無かった様だ。しかし誰かをいとおしいと思う気持ち、この人を信じてついて行きたいという気持ち、この人無しでは生きていることが難しいと思う様な、誰かに心から支えられていると感じる気持ち、暖かく見守られていると感じる気持ち、もっと色々言い換えることができるだろうが、こういう感情のことを愛と呼べるのでは無いであろうか。

Nächstenliebe を言うとき、良く取り上げられるのが、ルカによる福音書のGleichnis- 逸話 である。

ルカによる福音書10 25ー37 心温かいサマリタ人             

ほらご覧、法律の先生が、イエスを試そうと立ち上がって質問した: マイスター、永遠の生を授かる為に、私は何をしなければなりませんか? イエスが答える:  法律にはなんと書かれている?君はどこを読む? 彼が答える: おまえの主、おまえの神を、おまえの全ての心と全ての霊を込め、おまえの全ての精力と全ての思考能力もって愛せ、そしておまえと一緒に生きている人々(Mitmensch)も自分自身と同じ様に愛せ。イエスが彼に答えた: おまえは正しく答えた。その様にしなさい、おまえは生きていけるだろう! 法律の先生は自分の立場を確実に正当化したいが為に、イエスに言った: それなら、私と一緒に生きている人は誰?それに答えてイエスが彼に言った: ある男がエルサレムからジェリコへ行っていた時、盗賊に襲われた。盗賊は根こそぎ奪い取り、彼を殴り倒し、逃げ、半分死にかけていた男をそのまま置き去りにした。偶然(ユダヤ教)の司祭が同じ道を通りかかり; 司祭は彼を見たが そのまま通り過ぎた。同じ様に、レビ人(ヤコブの子孫とされる民族) の一人が同じ場所に来て、男を見たが、そのまま過ぎ去った。あるサマリタ人の男はしかし、旅の途中だったが男のそばに来た; 男を見て、かわいそうに思いそばに行き、オイルとワインを傷にふりかけ、布で巻いた。そして男を自身の乗ってきた動物に乗せ、一軒の宿に連れて行き、世話をした。翌日2ダナール(当時の通貨)を渡しながら 宿の主人にこう言った: 彼の世話をしてくれ、もしもっと必要であったら、今度来るときに支払うから。この3人の中で、誰が、盗賊に襲われた男と一緒に生きている人(Nächsten) と思うか?法律の先生は答えた: 慈しみを持って彼に対応した男。そこでイエスは彼に言った: では行きなさい、そして同じ様にしなさい! (合同翻訳聖書 より 拙訳)